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ガンダムXのメタ表現を参照した、Gレコ主人公の成長の方向性の仮定

・初めに

 Gレコ本編も折り返し、年も明けたので、この辺で一度このよく分からない物語を自分なりに整理してみようと思う。
 ただし、最初に断わっておくが、自分はガノタではない。有名どころの映像作品を一通り見たか見てないか程度の理解しかない。小説、漫画の類も一部を除き殆ど目を通していない。そんなニワカが幸か不幸か「ガンダムを考えるガンダム」等という大仰な通り名が何時の間にかついたガンダムXだけは何度も繰り返し見ている。そして、何故その様な通り名がついたのかの事情も、多少は理解しているつもりだ。
 ここでは、そんなガンダムXが提示した「ガンダム観」を手掛かりに、Gのレコンギスタが何を目指しているのかを自分なりに解釈してみる試みを行う。
 以上より、これから始まる解釈は大きく的を外している可能性があるという事を初めに断わっておく。正統なガノタの正統な解釈を読み飽きた人が、箸休め程度に軽く読む様な物だと思って読んで下さるとありがたい。

 よーするに、「トルクパックの元ネタはエスタルド四天王なんだよ!!」と主張してる様なもんです。真面目に読むもんじゃあない(笑)。

 

・作中における『ガンダム』、そして『主人公』とは何か?
 GセルフとGXは『ガンダム』である。これはマスコミでなくとも誰だって見ればわかる。では、ここで言う『ガンダム』とは何か?ここでは『ガンダムシリーズというコンテンツ』であると仮定する。実際、GXはガンダムX放送当時から15年前の『アニメ新世紀宣言』とかいう重大イベントのメタファーである宇宙戦争から、15年の時を経て今を生きる主人公、ガロード・ランに受け継がれている。
 今回はこの解釈をGセルフにも当て嵌めてみる。つまり、Gセルフとは35年間何だかんだで受け継がれて来た『ガンダム』というコンテンツその物であると仮定してみる。実際、最初にGセルフに乗っていたラライヤは、1stの某キャラを連想せざるを得ない。これには何らかの示唆を感じさせると思う。

 余談になるが、そう考えるとGレコの作風が何処か古臭いのも、『ガンダム』が背負っている歴史を(やや自虐的に)表現したものであると解釈する事も可能なのではなかろうか?

   古い物を壊せと言うなら、自分達の頭をこそ叩き割れ!

…と、どこぞの七光りも言っていたし。

 そんな古臭い…もとい、歴史ある『ガンダム』を受け取るのは、『今』という時代を生きる少年、ベルリ・ゼナムである。そして主人公である彼には、嘗てガロード・ランがそうであった様に、『ガンダム』というコンテンツを受け取るのに相応しい資質と成長が求められている、と考えてみる。
 では、その資質と成長とは何だろうか?ガンダムXとGレコの序盤展開の奇妙な類似を基に考えてみよう。


・『ガンダム』という力がもたらすもの。
 ガンダムX冒頭、主人公ガロードはその豊かな才能を用い、その日暮らしの生活を送っていた。そんなある日、彼は「ボーイ・ミーツ・ガール」に遭遇し、ヒロインに導かれるまま『ガンダム』を扱う。すると、『ガンダム』は半ば自動的にその『力』を発動し、ガロードは流されるかの様にその『力』を行使した。結果、

    ヒロインが発狂した。

 Gのレコンギスタ冒頭、主人公ベルリは豊かな環境と才能に恵まれ、エリートコースを進む安穏とした生活を送っていた。そんなある日、彼は「ボーイ・ミーツ・ガール」に遭遇し、危なっかしいヒロインに巻き込まれて、成り行きで『ガンダム』を扱う。すると、『ガンダム』は半ば自動的にその『力』を発動し、ベルリが気付いた時にはヒロインの仲間を殺してしまっていた。結果、

    ヒロインがキレた。

 即ちこれは、過去から来た『ガンダム』に現代を生きる若者が触れる事への示唆である。つまり、

『ガンダム』を受け身でただ消費するだけの様なヤツは

女の子にモテないぞ!!!

ついでに人が死ぬぞ!も一つついでに世界が滅ぶぞ!


…という事を伝えようとしていると思われる。(一方で「プラモばっかり作ってたら何時の間にか美少女が彼女になっていた!」なんてアニメもあったりするが、それへの対抗心みたいなものもあるのかも知れないがここでは触れないでおく。)
 これは忌々しき事態である。このままでは少子高齢化が加速して人類は衰退、ガンダムXの戦後世界の様な荒廃した大地にMSばかりがいる未来になってしまう。過ちが繰り返されるのだ。
 この様に、ただ流されるまま受け身で扱うと、大切な人を不幸にしてしまう(ついでに以下略)。『ガンダム』が持っている力とは、そういう危険な性質を持つものなのだ。
 では、そんな危険な力を託された若者は、どの様に『ガンダム』を扱えば良いのだろうか?現代を生きる若者に『ガンダム』が求める資質とは?
 ガロード・ランはそれを示してくれていた。即ち「我が道を走る」という事。『我』つまりは『エゴ』である。


・ガロード・ランはエゴイストである。
 ガロード・ランはエゴイストである。彼は感情的で直情的、自身の欲望に忠実な人間だ。「欲望のままに生きてたら人類は地球を滅ぼして云々」等という頭でっかちな事は考えない。それどころか「何も考えないで走る!」等と物騒な事を言ってのける。
 にも拘らず、彼のエゴは世界を滅ぼさなかった。何故か?それは、彼が欲深い人間であると同時に、欲が無かったからである。
 つまり、彼の欲望を満たすもの、目的が実に明快だったという事だ。故に必要以上を求めず、彼のエゴは肥大化する事は無かった。
 世界を滅ぼすのはエゴの肥大化であって、エゴそのものではない。寧ろ、エゴの喪失が世界を歪める事もある。それがGのレコンギスタの世界、『タブー』によってエゴが抑制された世界である。


・エゴを喪失した現代っ子、ベルリ・ゼナム。
 Gレコ序盤のベルリには「我の強さ」を感じない。冒頭で教官の詰まらない授業にいちゃもんを付けていたが、それさえも『生意気な飛び級生』というステレオタイプを演じている様にも見える。その後も自分の意見を一応言うが、相手にその気が無いと判ればさっさと引っ込めて相手の話に合わせている。彼には相手に押し付けるべき『エゴ』など無いし、実際問題その方がストレスや摩擦といったエネルギーのロスを最小限に抑えられる。実に効率的で平和な処世術だ。しかし、『ガンダム』はそんな彼の受け身の生き方を許さなかった。
 その為のカンフル剤として、アイーダというヒロインは実に分かり易い。なんてったって万年生理のポンコツ突撃娘である。彼女の非効率的で非合理的で理不尽な言動は、ベルリの心の奥底に封印されていた彼自身の『エゴ』を刺激するのに充分だっただろう。(もしかしたら、ノレドの「あの女の言った事正しいと思ったろう!?」というセリフは、『エゴ』が刺激されている事を無意識に感じ取っていたのかも知れない。)
 ベルリはそれが不快だった筈だ。捕まったばかりの女海賊の釈放を母に強請るのも、外から来た病原菌にさっさと出て行って欲しかったのかも知れない。
 その後も、『エゴ』を刺激するヒロイン、『エゴ』を忌避する主人公、『エゴ』の無い操縦で暴走するマシーン、のサイクルを繰り返し、ベルリ・ゼナムは自分自身の『エゴ』と向き合って行く事になる。


・『我』の再獲得。
 では、ベルリ・ゼナムが自分自身と向き合い、自覚した『エゴ』とは何なのか?1クールかけた旅路の果てに、それは示された。即ち、

        「恋を知ったんだ!死ぬもんか!!」

 これこそが、嘗てガロード・ランが貫き通し、ファースト・ニュータイプに時代を開く力と言わしめた『エゴ』である。

 可愛いあの娘とイチャつきたい!一緒に幸せになりたい!それを叶える為なら政治家だろうが超能力者だろうが太古の機械神だろうが乗り越えてみせる!!そして、それさえ叶えば他は権力だろうが超能力だろうが太古の神だろうが必要ない!!!

…良いねぇ…若いってのは。無責任で!
 場合によっては物凄く閉じた話になりかねない提示だが、幸いにして両作品ともヒロインの設定が、世界や時代と切っても切り離せない物となっているので、必然的に主人公の視野は拡張され、ヒロインと一緒に幸せになる為にはこの世界や時代とどう付き合って行けば良いのか?を考える事になる。
 しかし、忘れてはならない。この『エゴ』はパワフルで収束し易いが、同時に収束できなかった時のリスクを抱えている。収束できなかった場合とは即ち、『失恋』である。失恋によって収束先を見失ったエゴは、相手と繋がっていた世界を代替品としてすり替えてしまう。そして、二度と叶う事の無い望みを叶えようと、ひたすら空転を続ける。それは…『エゴ』を肥大化させる…
 しかも、このケースには前例がある。最初の赤い人だ。少なくともニワカの自分には彼はそういう人として地球潰しをやろうとしていた様に見える。
 『ガンダム』を継ぐ者としてのベルリ・ゼナムには、この前例に応える為の資質と成長もまた、求められている様に思う。そしてそれは、ベルリが持つ『歴代の主人公達が誰一人として獲得出来なかったと言っても過言ではないある資質』によって達成されると考えている。


・ベルリの持つ歴代最高の資質。
 小説「逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン」の序文にて、アムロとシャアはお互い以外に自分を刺激してくれる他者に出会う事が出来なかった…という記述がある。彼らは孤独であり、それ故に自身のエゴを冷静に客観視する機会に恵まれなかったのだと思われる。早い話が『深刻なツッコみ不足』というヤツである。
 そして、ベルリ・ゼナムにはその問題を克服する為の、「ある才能」が発達していると自分は推測する。その才能とは『愛情に対する感受性』である。
 現にベルリは、舐めれば治る様なかすり傷に大騒ぎする母親や、出撃直前に毎回デッキで大騒ぎするアダム、「守って欲しいんだよ!」と怒鳴りながら整備するハッパ、「戦友!」と呼びながらじゃれついて来るケルベス等々、この様な事がある度に、何とも幸せそうな笑顔を浮かべるのである。更には年中怒っている様な体育会系体罰教師デレンセンの様な人であっても、彼の死に深く心を痛めるほどに愛着を持っていた。
 そして極めつけは、彼が恋した相手の名は『愛だ!』…ってこれは流石に無いかwwプリキュアじゃあるまいしww

 以上から、ベルリは「天才飛び級生」という孤独の中にあっても、彼自身は孤独を感じる事は無いのである。或いは、孤独を感じざるを得ない人生の中で、そういう感じ方を発達させる事によって、彼は今日までを生き延びて来たのかも知れない。
 故に、ベルリ・ゼナムは孤独ではない。孤独ではない以上、彼の『エゴ』の肥大化は防がれるだろう。
 そして、その『エゴ』の力を持ってして、35年の情念で若者を飲み込もうとする『ガンダム』を、新たな未来へ導いてくれる筈だ。
 それを期待して、これからもGのレコンギスタを視聴していこうと思う。最後まで、自分の目で、確かめる為に。嘗て、ガンダムXが、「貴方自身が確かめて。」と言った様に。





・セルピエンテ・タコーン(こじつけのそのまた更にこじつけ)。
 ルイン・リーも何かガロードっぽいと感じる今日この頃。
 いや単に、嫁さんが何時も甲斐甲斐しく家事をしながら家で待ってるのに、肝心の旦那が嫁さんの事を忘れてる…って構図が、エスタルド編拗らせたガロードとティファっぽいなぁとw
 そう思ったら、浮気相手のバララ・ペオールの切れ長な感じが、エニル・エルに似てる気がしてきたww
 「劣った人間」というコンプレックスに屈折して、強化装置っぽいマスクって仮初めの力に頼る様は、カリス戦の敗北を拗らせた感じにも見えて来るなー…(←もう何でもありじゃねぇかwww)
 果たして、マニィ・アンバサダの「私を見て!」はどの様な形で表れるのだろうかw


 毎度毎度、輝かしいご活躍をされる姫様を見ていると、VSシリーズにGアルケインが出た時、1000コスになるんじゃないかって気がして心配で夜も眠れないwww
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